ドイツはコンピューターができる前から秩序の国だった。ナチの第三帝国が崩壊した後、その犯罪の全容があっけなく明るみに出たのは、彼らがあまりにもちゃんと記録を残していたからだ。処刑した人数も、略奪した美術品の数も、とにかくすべてが記録されていた。
1989年、ベルリンで東西ドイツの壁が崩れ始めたとき、東ドイツの人々は秘密警察の建物を襲撃して、そこにあった書類を破棄し始めた。もっとも、彼らはまもなく、これは証拠になると思いつき、破棄は止めた。そのため、秘密警察シュタージが自国民をスパイにして集めさせた自国民についての膨大な密告資料は、ほとんどが無傷で残った。
統一後2年経った1992年、シュタージの記録の公開が始まった。申し込みをすれば、自分に関するシュタージの記録を閲覧することができたのだ。密告人の名前は暗号名になっているが、それが誰だか特定したい場合は、本名の開示を要求することができた。認められないのは、書類の破棄や内容の削除の要求であった。
以来、200万人以上の元東独人がこの記録を閲覧した。無二の親友だと思っていた人間、あるいは家族が、自分について密告していたことを知り、取り返しのつかないほどの精神的打撃を受けるという悲劇が多く起こった。自殺者まで出た。